7月3日 しゃべり場 ~高等部宿泊学習同行記2~

耳を疑った。昼食後の午後の活動は、レクリエーションのはずだ。だが、この時間進行のK教諭は、これからグループワーク「しゃべり場」を行うという。「外出」をテーマに言いたいことを付箋に書き、討論し、班ごとに発表しあうのだという。
意外や、生徒からは、討論がどうしてレクリエーションになるのだという声はない。そんな素直な生徒たちだったろうか。討論が始まって合点がいく。生徒たちはどんどん話す。話したくてしようがないようだ。
こんな光景だ。そう。10数年前、あるテレビ局の番組で、10代の若者たちが真剣に議論しあう番組があった。そのタイトルが「しゃべり場」だった。口角泡を飛ばして議論する光景を思い出す。既視感がある。
あるグループは、外出の困りごとを「高い」「遠い」「狭い」のように整理した。
H君は自分の経験を交えて説明した。自分は手の動く範囲が狭いので、エレベーターのボタンを押すとき棒を使っている。その棒を忘れて外出すると、誰かに頼まなくてはエレベーターを利用できない。棒を忘れたとき、とても悲しくなりますと。だがその言い方が面白く笑いを誘った。H君は、困った体験をユーモアを交えて話す。不思議なもので笑いながら聞いているが、その状況をリアルに感じる。「狭い」のは、通路。広いと自慢の通路も、立派な電動車いすにとっては狭いのだ。
別なグループは、精神面、環境面、対物面、対人面から整理した。精神面では、他人の視線を感じるといったことや席をゆずってもらうときに感じる意識などが話し合われた。
もう一つの班では、◯◯で困ると整理した。バリアフリーでなくて困る、自然環境が要因で困る、トイレで困るなど。自然環境で困るは、雨、風など。雨が降れば皆困るのだが、Tさんは少し違う。長いカッパは雨に当たらなくてよいが、電動車いすに巻き込まれて困るのだそうだ。
「しゃべり場」だと思えるのは、一人が言うと、「そうそう」と相づちを打って似たような経験や関連した経験が次々と出てくるところだ。毎日、東京の通勤ラッシュを経験している子供たちは、いろいろな意味で鍛えられている。
彼らは、「しゃべる」ほどの経験をしており、心を動かされた経験がある。だから、しゃべりたいのだ。生徒たちが楽しんで取り組んでとすれば、これも余暇と言えるかもしれない。そこまで考えて、「しゃべり場」をレクリエーションとしたとすれば、K教諭の読みは鋭いと言えるだろう。