教育と研究のタスキ

 桐が丘特別支援学校(以下、桐が丘)に戻り、学校に残る古いアルバムをめくっていると、1枚の写真に目を奪われました。前列中央に座る当校の第2代校長である橋本重治先生(在任期間:1960-1965年)を中心に、当時の桐が丘の教職員が収まっている集合写真です。おそらく1964年又は1965年頃の写真と推測されます。ちょうどこの頃、桐が丘は研究実験校としての素地を整えていますので、今から60年前の錚々たる顔ぶれの先輩方の姿から、桐が丘草創期の教育・研究の息吹が伝わってくるような感覚にとらわれます。

 一般的には、我が国の教育評価の分野で大きな足跡を残した教育研究者として知られる橋本先生ですが、桐が丘の校長時代、以下のことに取り組まれています。

 1962年 家庭にいる肢体不自由児(通学生)を受け入れるための学級を設置
 1963年 通学生のための新校舎(現、本校校舎)が完成
      橋本重治著『肢体不自由児の心理と教育』(金子書房)の刊行
 1964年 当校の『研究紀要』第1巻の刊行

 通学生のための学級は、附属学校として研究を進めたり教育実習を行ったりするために設置されたと聞いています。また、附属学校の教員として指定研究(全教員で同一テーマに取り組む)、教科研究、自由研究(教員の自由意志による)に取り組むこととされ、その成果を発信する手段として『研究紀要』の刊行が開始されました。そして、橋本先生が著した『肢体不自由児の心理と教育』には、当時増えつつあった脳性まひ児について、知覚的特質(図形と素地の関係、形と余白の関係を正常に弁別したり再生したりすることが困難であるなど)があることが記され、教科指導を行う際の留意点などが示されています。今から60年以上前に、すでに今日の桐が丘の教育・研究につながる礎が築かれていたのですから、感慨もひとしおです。

 この写真から7、8年後には、写真に写っておられる諸先輩方により、脳性まひ児が学習に苦戦する様子を「学習障害」と表現され、WISC等の検査結果を踏まえた実践研究が精力的に発表されています。今の桐が丘で行われている教育や研究の原型は、草創期の先輩方が築き、そして代々引き継がれてきた学校文化というレガシーのお陰だと改めて気付かされます。今の桐が丘を預かる私たちは、先輩方が託してくれた教育・研究のタスキをしっかり引き継ぎ、未来の桐が丘へとリレーしていく責任があると、強く思う次第です。