見えないところが見えるところを支えている
先日、アメリカの大リーグで活躍したイチロー氏が、日本での野球殿堂入りに続き、アメリカでも野球殿堂入りを果たしたことが報じられました。27歳で渡米し、通算509盗塁、通算3089安打、10年連続200安打、10年連続ゴールデングラブ賞など走攻守で輝かしい記録を打ち立てたイチロー氏が、その功績を認められて日本人初(アジア人としても初)のアメリカの野球殿堂入りを果たしたことは、日本人として誇らしい限りです。その選考を巡っては、投票資格のある野球記者394名から393票を集め(得票率99.7%)、圧倒的に支持されての選出でしたが、満票に1票だけ届かなかったことも注目されました。そのことを受け、イチロー氏は会見で次のようなコメントを残しました。
「1票足りないのはすごくよかったと思います・・・・・やっぱり不完全であるというのはいいなって。生きていくうえで、不完全だから進もうとできる。」
現役を引退した今もなお体を鍛え、実際に野球に取り組む姿を見せながら若者達の指導に当たるイチロー氏の姿勢や考え方に、深く頭が下がる思いです。
イチロー氏は、これまで様々な言葉を残してきていますが、過去のコメントの中にも、今回に通じる考え方が示されていました。
「一番不幸なことというのは、何もつかめないことなのか、それともすべてをつかめることなのか、どちらなのかを考えると、僕はすべてをつかめてしまうことの方が不幸だと思っています。」(児玉光雄『イチロー流準備の極意』)
イチロー氏は、常に壁と向き合い、その壁を乗り越えることに全力を注ぐ。そのような生き方をされてきたように思います。そして、そのための準備を常に怠らなかった。イチロー氏は試合に臨むためのルーティンを、妥協せず毎日続けたことはよく知られています。壁と対じし、それを乗り越えるため目立たない準備を続ける毎日の積み重ねが、大きな怪我をすることなく日米通算4367本の安打を生み出したことを思うと、華やかな功績を支えている根っこの部分に目を向ける必要があるように感じます。
イチロー氏の話を教育に置き換えると、毎日の授業も「うまくいったかな」と手応えを感じる以上に、反省点の方が多いのが常です。授業の難しさという壁を目の前に、毎日の記録や教材等の準備などを地道に行う作業は、授業を支える根っこの部分といえます。しかし、この根っこの部分なくして授業の改善はおぼつきません。そして「もっといい授業がしたい」という願望は、教師である以上、頭から離れない永遠の課題です。
教育者である東井義雄先生は、「見えないところが見えるところを支えている。見えないところが本物にならないと、見えるところも本物にならない」という言葉を残しておられます。子供をよく見ることと授業をつくる前の準備がいかに大切か。イチロー氏のストイックな姿は、派手さのない地味な作業にコツコツと取り組む先生たちに、刺激と励みになるのではないかと思います。
