初めて設置されたプール
昨年の夏、本校新校舎の第3期工事が終了し、ついに桐が丘特別支援学校にプールが設置されました。本校の旧校舎には一応「プール」室と呼んでいた場所はありましたが、元々は「水治訓練室」(1964年竣工)として設置され、当時、肢体不自由のある児童生徒に必要とされた障害を改善するための指導(「機能訓練」)を行う場所の一つとして、利用されていました。「水治訓練室」は、1988年から校内での名称を「プール」室に改めましたが、傾斜のある狭い水槽は泳ぐ場所というより、水慣れや浮かぶ感覚を体験する場所、そして身体のリラクセーションを図る場所という感じで使用されていました。また、水温調整は熱湯を水に注いで手などでかき回す手作業で行っていました。今回、新設されたプールは循環浄化装置を備え、水温も自動的に調整される本格的なプールです。水槽の大きさも16メートル×10メートル(スロープ部を除く)あり、水泳の指導にもしっかり取り組めると思います。
新校舎へのプールの設置に当たっては、元々ないものを新たに要求するということでしたので、認めてもらうまでにはずいぶんその説明を求められました。校舎改築の要望を行っていた当時、副校長だった私は、本学の施設部や文部科学省の会計課等の担当者と面会し、体育・保健体育の内容にそもそも水泳があり、肢体に不自由があっても指導の必要性があることを何度も説明いたしました。肢体に不自由がある児童生徒だからこそ、水中での活動が必要であり有効であること、肢体に不自由があることを理由に、学びの可能性が狭められてはいけないのではないか、という話もさせてもらいました。特に肢体不自由のある児童生徒の有する可能性については、旧プールでアームヘルパーをつけて背浮きを中心に水泳指導を受けていた関節拘縮症の児童が、学外のプールで、アームヘルパーなど未装着のまま25メートルのプールを泳ぎ切る姿を目にしたことがあり、その実例を紹介して水泳指導の必要性を伝えました。上下肢の可動域の狭い児童でしたので、両腕は前へならえのような姿勢のまま水に入り、首の上下動を行いながら全身で泳ぐスタイルでした。学外の実績のある指導者に水泳を習い、児童が自分なりに泳ぎ方を身に付け、見事に25メートルを泳ぎ切った姿から、やはり先入観や思い込みで児童生徒の可能性を狭めることはあってはならないと、強く肝に銘じたでき事でした。
腕で水をかく動作やバタ足、カエル足ができなくても、自分なりに水を理解し、自分に合った泳ぎ方を体得できれば人は泳ぐことができる。そのようなことを目にしたときの感動は、しばらく時が経過したあとに再び味わうことができました。2021年に開催された東京パラリンピックで、日本選手団のメダル第1号となった水泳の山田美幸選手の泳ぐ姿を目にしたときです。当時、14歳だった山田選手は、競泳女子100メートル背泳ぎ(S2運動機能障害)で銀メダルを獲得し、日本史上最年少メダリストになりました(その後、50メートル背泳ぎでも銀メダル)。山田選手は生まれた時から両腕がなく、両足の長さも異なる中で、うまくバランスをとりながらキック主体に全身で泳ぐ姿は、かつて目にした児童の泳ぎと重なり、目が釘付けとなりました。
新設されたプールでの水泳指導は、本校の小学部・中学部の児童生徒を対象に、9月に実施します。まずは、安全な指導を第一に進めていくことになります。肢体不自由のある児童生徒の可能性を広げる学びの場として、新設プールの歴史がいよいよ始まります。
![]() 旧プール(元 水治訓練室) | ![]() 新設のプール |