桐高生日記vol.32
I君(高2)の日記から・・・
今思えば、あの時の選択は不可解なものだった。
思春期とは非常に厄介なものだ。全く合理的でない選択をさせる時期だからだ。勉強する理由を考えるのに時間を使い、全く実行しないという選択をしてしまったことを今でも後悔している。勉強をしなかった責任を「自分の能力が低い、勉強に向いていない」などと、変化をする余地がない才能やセンスのせいにしたのだ。失敗したとき、失敗するまでの過程で努力しなかった自分を認めたくなかったためだ。本来は失敗しないために勉強するべきなのに。
明確に原因はわかっている。本来なら努力できない自分を認めて次のテストのために何をすればいいのかを考えるのが、この場合の妥当な案と言えるだろう。
今、本で勉強して、様々な成長、健康的な生活を送るのに必要なテクニック、教育、経済、行動分析、表情分析、睡眠、などの本を読んで、冷静な判断ができるように非合理的な選択をとらないための具体的な対策を打っている。この現状から考えれば、「大失敗した過去も成長の途中なのだ。」と言い換えられる。
・・・なんか、格好つけた文章になっちゃいました。慣れない文体で書くもんじゃないですねぇ。
(2020.10.26)
(先生から)
いいや、「格好つけた」なんて思わないよ。今の君の気持ちが赤裸々に語られているのだと思う。失敗のない成長なんてない。最短距離で行こうと思わず、いろいろと回り道しながら成長していけばいいさ。